記憶の砂粒


「詩人は一粒の砂粒からでも、世界を想うことができる」という。

詩人は、じぶんに与えられた

ちいさな砂粒のような手がかりから、

見知らぬ世界や、遠くで起きている出来事に

意識の焦点を絞り込み、

いま自らが生きている世界について

想うことができる、と。


詩人とは、もちろん職業のことではなく、

人があるべき原型のようなもの。

そして一粒の砂とは、じぶん固有のちいさな経験、

しかしそれだけが唯一まぼろしではない確かな経験のことなのだ。

僕たちはあたえられたちいさな場所や経験を通じて、

この世界を想い、大きな精神に触れる。

そのことの大切さが語られていた。


音楽という砂粒。手触りという砂粒。

そして家族という砂粒。

サラサラと降り落ちる記憶の砂粒のなか、

その向こうにはさまざまな世界が見える。


海の向こうの国々、生きものたちの暮らし、

水平線に横たわる月、遠い森のこと。


そして星霜夜の浜辺にひとり佇む人間という存在もまた、

広大な宇宙のなかに投げ出されて孤独に震える、

砂浜のなかのたった一粒の、砂なのである。



「僕のいるところ」 三谷龍二



三谷龍二さんは工芸家で木工デザイナーです。

これはこの方の初めての絵本です。

自分の作品を写真に撮って、それぞれに文をつけた構成になっています。


一粒の砂粒、本当にそうだなと思います。

日常の何でもないことを通して世界を感じる。

それは花でもいいし、雨粒や石ころでもいい。

最近ではそういったものを通して感じることの方が、

新聞やテレビを通じて得る知識より大切な気がします。

世界はあらゆるものの内に存在しているのです。